江戸文化編-水戸黄門と朱子学の謎

(掲載No.743)日本三大漂泊詩人 (掲載No.744)俳諧連歌の祖
【江戸文化の「江戸的」展開編その1】江戸文化の華というべき俳句が江戸という都市でひとつの頂点に達するまで(記事中イラスト「二条良基」) 【江戸文化の「江戸的」展開編その2】寿命が尽きたかと思われた「俳諧」を新たな世界に蘇らせた天才作家の奇跡(記事中イラスト「松永貞コ」)
(掲載No.745)芭蕉と西鶴 (掲載No.746)蕉風開眼
【江戸文化の「江戸的」展開編その3】「俳聖」松尾芭蕉が活動の本拠を上方ではなく新開地の江戸に置いたワケ(記事中イラスト「西山宗因」) 【江戸文化の「江戸的」展開編その4】インフレを招いた萩原重秀に罷免させた新井白石の経済センスの無さ(記事中イラスト「服部半蔵正成」)
(掲載No.747)忍 者 (掲載No.748)丸本歌舞伎「大序」
【江戸文化の「江戸的」展開編その5】「スパイ論」から見た「芭蕉忍者説」が一笑に付すことのできない理由(記事中イラスト「サマセット・モーム」) 【江戸文化の「江戸的」展開編その6】日本の大衆芸能の歴史で言えば「アニメの実写化」はむしろ「伝統」だ(記事中イラスト「飛び六方を踏む市川團十郎」)
(掲載No.749)「鎌倉三代記」と
「近江源氏先陣館」
(掲載No.750)仮名手本忠臣蔵
【江戸文化の「江戸的」展開編その7】丸本歌舞伎の代表作「仮名手本忠臣蔵」は「反江戸」であり「将軍殺し」の芝居だ(記事中イラスト「近松半二」) 【江戸文化の「江戸的」展開編その8】「別世界」に「将軍が存在」した『仮名手本忠臣蔵』は「近松方式」の原型だ(記事中イラスト「口上人形」)
(掲載No.751)高 武蔵守 師直 (掲載No.752)歴史被害
【江戸文化の「江戸的」展開編その9】「高師直=武蔵守=徳川将軍」を舞台で殺した「忠臣蔵」の偉業=i記事中イラスト「並木宗輔」) 【江戸文化の「江戸的」展開編その10】「好色な極悪人」と烙印された吉良上野介は「歴史被害者」だ(記事中イラスト「桃中軒雲右衛門」)
(掲載No.753)市川團十郎の金平物(荒事) (掲載No.754)落語の祖・安楽庵策伝
【江戸文化の「江戸的」展開編その11】「お上のよる女優禁止」が発展させた上方歌舞伎の女形≠フ芸(記事中イラスト「太夫と三味線」) 【江戸文化の「江戸的」展開編その12】「浄土宗の僧」安楽庵策伝が「落語の祖」と呼ばれる理由(記事中イラスト「初代桂春團治」)
(掲載No.755)上方落語の始祖・江戸、
上方落語の祖
(掲載No.756)江戸落語・上方落語
【江戸文化の「江戸的」展開編その13】落語専門の「寄席」を神社境内に初めて開いた三笑亭可楽の“業績”(記事中イラスト「三笑亭可楽」) 【江戸文化の「江戸的」展開編その14】江戸落語と上方落語の「笑い」で比較する東西の「文化格差」(記事中イラスト「初代林屋正蔵」)
(掲載No.757)江戸時代の日本の識字率
は世界一
(掲載No.758)寺子屋
【江戸文化の「江戸的」凝縮編その1】日本人の識字率向上に貢献した江戸時代以前の「あるシステム」(記事中イラスト「マルチン・ルター」) 【江戸文化の「江戸的」凝縮編その2】日本の識字率アップの功労者は『平家物語』を音曲にした慈円だ(記事中イラスト「慈円大僧正」)
(掲載No.759)源氏物語と平家物語 (掲載No.760)琵琶法師と平家物語
【江戸文化の「江戸的」凝縮編その3】琵琶法師が語る『平家物語』は庶民が楽しむ「ラジオドラマ」(記事中イラスト「江戸時代の読書風景」) 【江戸文化の「江戸的」凝縮編その4】「語り物」の『平家物語』が持つ「読み書き」教育効果の仕掛け(記事中イラスト「川内康範氏」)
(掲載No.761)鹿谷の陰謀 (掲載No.762)世阿弥(鬼夜叉)と二条良基
【江戸文化の「江戸的」凝縮編その5】『平家物語』は「怨霊鎮魂」のため最初から音曲化を目指していた(記事中イラスト「平 重盛」) 【江戸文化の「江戸的」凝縮編その6】『万葉集』『平家物語』を貴人と庶民が「共有」する日本の伝統(記事中イラスト「バーナード・ショー」)
(掲載No.763)音曲化による大衆化 (掲載No.765)太平記読み
【江戸文化の「江戸的」凝縮編その7】武士階級の初等教科書だった『太平記』が後世に与えた影響(記事中イラスト「今川貞世」) 【江戸文化の「江戸的」凝縮編その8】『平家物語』の教育効果≠受け継いだ『太平記』のバックボーン(記事中イラスト「滝川一益」)
(掲載No.765)『庭訓往来』と寺子屋 (掲載No.766)民間最大最強の文字文化・俳諧
【江戸文化の「江戸的」凝縮編その9】初等教育機関としての寺子屋をせいこうさせた「教科書」は何か(記事中イラスト「いろはかるた」) 【江戸文化の「江戸的」凝縮編その10】写本しかなかった「書籍」を一般に普及させた「木版印刷」(記事中イラスト「桑原武夫」)
(掲載No.767)江戸の出版文化・御伽草子 (掲載No.768)江戸の木版文化
【江戸文化の「江戸的」凝縮編その11】浮世絵という質の高い版画が一般庶民にまで広がった背景(記事中イラスト「鈴木正三」) 【江戸文化の「江戸的」凝縮編最終回】「絵師」「彫り師」「摺り師」の分業で発展した浮世絵芸術と大衆化(記事中イラスト「曲亭馬琴」)
(掲載No.769)江戸時代の名君「徳川光圀」 (掲載No.770)水戸黄門
【徳川光圀の生涯編その1】「不良少年」水戸黄門を改心させた『史記』伯夷・叔斉伝(記事中イラスト「伯夷・叔斉」) 【徳川光圀の生涯編その2】将軍綱吉の「後継者問題」を批判した水戸黄門の「正義」(記事中イラスト「光圀の父・頼房」)
(掲載No.771)『大日本史』の編纂 (掲載No.772)儒教の徒
【徳川光圀の生涯編その3】水戸黄門の結婚で「天皇家の血の導入」を企てた幕府の野望(記事中イラスト「水戸斉昭」) 【徳川光圀の生涯編その4】林羅山の「天皇中国人説」に反発した水戸黄門『大日本史』編纂(記事中イラスト「古公亶父」)
(掲載No.773)日本的朱子学 (掲載No.774)日本人すべての模範
【徳川光圀の生涯編その5】水戸黄門が亡命明国人の学者・朱舜水から学んだ朱子学(記事中イラスト「朱子(朱熹」) 【徳川光圀の生涯編その6】武士の忠義の対象を将軍から天皇に替えた水戸黄門の「朱子学」(記事中イラスト「後鳥羽上皇」)
(掲載No.775)徳川家康の『裏目』 (掲載No.776)保科正之
【徳川光圀の生涯編最終回】徳川幕府の統治システムとしての「朱子学」が孕んでいた矛盾(記事中イラスト「嗚呼忠臣楠子之墓」) 【保科正之の生涯編その1】出生を秘された会津藩祖が遺した鉄の掟「家訓十五箇条」(記事中イラスト「お江与」)
(掲載No.777)山崎闇斉と土津霊神 (掲載No.778)保科正之と会津藩校日新館
【保科正之の生涯編その2】山崎闇斉が解決した林羅山「儒家神道」二つの問題点(記事中イラスト「荻生祖徠」) 【保科正之の生涯編その3】聖徳太子「和の精神」を否定した「会津藩家訓十五箇条」(記事中イラスト「聖徳太子」)
(掲載No.779)殉死の禁止 (掲載No.780)廃仏毀釈
【保科正之の生涯編その4】「殉死の禁止」ほか幕政改革を断行した将軍補佐役の「三大美事」(記事中イラスト「江戸城天守閣」) 【保科正之の生涯編その5】明治維新「廃仏毀釈」運動のルーツは会津藩「神仏分離」政策(記事中イラスト「岡倉天心」)
(掲載No.781)土津神社に神式
埋葬された正之
(掲載No.782)吉川神道
【保科正之の生涯編その6】会津藩が幕府の「神仏混淆」体制の坑って「領内火葬禁止」にした謎(記事中イラスト「養父・保科正光」) 【保科正之の生涯編最終回】七百年も続いた「朝廷・幕府併存体制」と「習合の思想」(記事中「土津神社の写真」)
(掲載No.783)上杉綱憲と鷹山 (掲載No.784)鷹山、米沢初入部
【上杉鷹山の改革編その1】上杉家の家督を継いだ秋月家次男に伝わる「吉良上野介のDNA」(記事中イラスト「上杉景勝」) 【上杉鷹山の改革編その2】財政逼迫の米沢藩を窮地に陥れた「悪臣森平右衛門」(記事中イラスト「直江兼続」)
(掲載No.785)江戸時代の官官接待 (掲載No.786)鷹山の改革と重定の浪費
【上杉鷹山の改革編その3】「収入八分の一」でもリストラしなかった米沢藩上杉家の正義=i記事中イラスト「藁科松柏」) 【上杉鷹山の改革編その4】米沢藩主に改革の政治哲学を教えた儒学者・細井平州(記事中イラスト「細井平州」)
(掲載No.787)七家騒動 (掲載No.788)鷹山による処罰
【上杉鷹山の改革編その5】上杉家「大倹約令」に反発した謙信公以来の名門七家の論理=i記事中イラスト「鈴木正三」) 【上杉鷹山の改革編その6】「七家騒動」が遺した「改革は無血では成功しない」という教訓(記事中「上杉鷹山像の写真」)
(掲載No.789)関ヶ原の敗者 (掲載No.790)平州の米沢招聘
【上杉鷹山の改革編その7】上杉家に「関ヶ原三百年の恨み」を放棄させた皮肉(記事中イラスト「保科正之」) 【上杉鷹山の改革編最終回】後継者への「伝国の辞」に込められた「藩主機関説」の思想(記事中「伝国の辞」の写真)
(掲載No.791)4人の名君 (掲載No.792)閑谷学校
【池田光政の善政編その1】「岡山藩主のブレーン」熊沢蕃山が閑谷学校で教えた陽明学(記事中「閑谷学校の写真」) 【池田光政の善政編その2】庶民に学問を教える閑谷学校は「世界教育史上の金字塔」だ(記事中「閑谷学校講堂前の井沢氏の写真」)
(掲載No.793)名君池田光政と儒学 (掲載No.794)儒 者
【池田光政の善政編その3】幕府の「寺請制度」を否定した岡山藩池田家の「神道請制度」(記事中「池田光政らの墓所の写真」) 【池田光政の善政編その4】熊沢蕃山が心酔した「儒教」の中心にあった「水土論」思想(記事中イラスト「王 陽明」)
(掲載No.795)中江藤樹に弟子入り (掲載No.796)浪人問題の解決
【池田光政の善政編その5】幕府の兵農分離政策を否定した「民を労る」政治哲学(記事中イラスト「由井正雪」) 【池田光政の善政編その6】林羅山に「由井正雪の乱の黒幕」と糾された蕃山の悲劇(記事中イラスト「山鹿素行」)
(掲載No.797)太平記秘伝理尽鈔 (掲載No.798)延暦寺焼き討ちの論理
【池田光政の善政編その7】日本的儒教思想の原点となった口伝の書『太平記秘伝理尽鈔』(記事中イラスト「名和長年」) 【池田光政の善政編その8】織田信長「延暦寺焼き討ち」と「理尽鈔」に通底する武士の道理(記事中イラスト「楠木正成」)
(掲載No.799)『太平記』は武士道
のバイブル
(掲載No.800)太平記第22巻はなぜ欠落したか
【池田光政の善政編その9】「理尽鈔」は「太平記」のヒーロー・楠木正成をどう描いたか(記事中イラスト「上杉謙信」) 【池田光政の善政編最終回】「日本人統合の原理」となった『太平記』と第22巻欠落の真相(記事中イラスト「老 子」)


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