COLLAGE◆SUPER NIL
 核家族すら解体され大きく変貌する家族の実態
 新潟の少女監禁事件、京都の小学生殺害事件の記憶がまだ新しいうち、また新たにショッキングな事件が起こった。「人を殺してみたかった」という理由で犯行に及んだ愛知の私立高校生による主婦殺害事件、療養所に入院していた17歳の少年が起こしたバスジヤック、そしてその果ての殺人事件だ。たとえば新潟の事件の容疑者は、老年の父親と中年の母親との間に生まれたひとりっ子として過保護に育てられ、年老いた父親に暴力を振るっていた。父親の死後は成人してからも仕事もせずに家に引きこもり、母親に対してまるで暴君のように振る舞い、母親はその息子に奴隷のように従っていた。京都の事件の容疑者、バスジヤック事件の容疑者も、家庭内暴力や引きこもりの問題を抱えていたと報道されている。そうしたことが事件の背景、遠因であろうことは想像に難くない。だが、何の問題もなさそうな家庭環境にあるからといって、事件はあなたに無縁、私に無縁と言い切れるだろうか。愛知の事件の容疑者は教育者一家に育ち、1歳半のときに母親が離婚して不在というものの、目に見えやすい形での家庭的な問題はいまのところ報道されておらず、本人も学校では成績優秀で明るい生徒として通っていた。だが、それでも事件は起こった。いま日本の家族は危機に瀕していると言われている。家庭内暴力、ドメスティック・バイオレンス、引きこもりなどは決して珍しくない。そうした明確な形を取った現象として顕在化しなくても、親の過保護や過大な期待のもとに育てられ、無意識のうちに「いい子」を演じることを強制され、抑圧されているケースは多い。いつかその抑圧に耐えられなくなり、アルコール依存症や摂食障害などさまざまな依存症に陥るのはよくあることだ。また、子供のときに家族という場で受けた何らかの心の傷が原因となって大人になっても成熟できず、人間関係の持ち方に障害を抱えているケースなどはごくふつうにある。いや、現在の日本は家族そのものの成立が難しくなっている。少子化や晩婚化の進行、離婚率の上昇、シングルマザーの増加といった現象を見ればわかる通り、従来の家族は崩壊しつつある。核家族すら解体されつつあるのだ。家族とはそもそもいかなる場なのか。我々はその家族という場でいかに育てられてきたのか、いかに子を育てようとしているのか。心の傷を受け得るという意味で家族とはいかに危険な場なのか、家族はこれからどのように変容していくのか……。今号から数回にわたって、事件や現象を入り口にして家族という場について語ってくれるのは、精神科医の斎藤学氏。依存症研究の第一人者として知られ、依存症克服のための自助グループを援助するなど、単なる治療やカウンセリングの域を超えた実践活動も極めて豊富な人だ。「アダルトチルドレン」という言葉を日本に普及させたのも斎藤氏である。
                 
               

--まず、先生は日本の家族の現状をどう捉えていらっしやるのでしようか。
斎藤たとえば10年前に比べて、家族というものに対する認識を大きく変えざるを得ない。それを考える上で大きな問題が少子化です。だいぶ前(1989年)に出生率が1.57になって「1.57ショック」なんて言ってたのが、一昨年の段階で1.38です。先進国の中で日本より下はもうイタリアぐらいしかなくなっちやったんです。とにかく女たちが子供を産みたがらない。このまま少子化が進めば、21世紀の最終年には日本の人口ぱ6500万人程度に減ってしまうでしようし、1500年後には日本人は、トキ状態になるでしよう(笑)。そうなると、労働力は不足するし、いくらモノを作っても売れない。いま介護の仕事が注目されているでしよう。失礼な話だけれど、いまの日本の女性はあんな厳しい仕事に耐えられないですよ。とすると、外国から人を入れないとやっていけない。先日、山形県のある町に行ったら、町が自慢する老舗のソバ屋の若旦那はフィリピン人の女性をお嫁さんにしていましたよ。聞いたら、そこらじや日本人の嫁さんなんかきてくれない。で、町にフイリビンバーが何軒かあって、そこで若旦那たちとホステスをしているフィリピン人の女性が結ばれる。もう30数人そういうお嫁さんがいて、芋煮会をやっているって。現実の家族はそういうふうに変わりつつある。なのに従来の家族像をいまだに幻想として抱いている人が多い。さすがに政治家や企業のトップの連中はリアリストですから、少子化に危機感を抱いていますけれどね。
 夫婦関係を維持する"機能"としての子供
--女性たちはなぜ子供を産みたがらなくなったんでしようか。
斎藤それを真剣に考えると、すぐに家族の問題に行き着くんです。47年民法(1947年に制定された民法)が言っているような家族……つまり、夫婦とその血を分けた子供からなる家族を、はたして本当にこれから先も続けていった方がいいのかどうか、考えた方がいいと思うんです。その家族はいま制度疲労を起こして、お父さんもお母さんも子供もみんな困っている。女たちはそれを無意識のうちに感じているから出産拒否、育児拒否している。女たちはだいたい結婚そのものをしなくなっているし、男も女もシングルライフを楽しむ人が増えている。で、シングル同士でその時々にカップリングして何度もチェンジングパートナーするみたいなあり方がこれからどんどん根づき、男と猫一匹みたいな単独世帯も増えるでしよう。現状として、私たちがイメージする、お父さんとお母さんとその血を分けた子供からなる家族というのはどんどん減っている。もう全世帯の5割を切っているんじやないですか。
--シングルマザーも増えています。
斎藤正確な数字じやないですけれど、いま新生児のうちシングルマザーの割合は保守的なイギリスでさえ30%、フランスだと40%、スウェーデンなんて57%です。日本はまだ1%ですけれどね。フランスなんか最近、家族法をずいぷんと規制緩和しちやって、レズやゲイのカップルも家族と認めるようにした。要するに、男と女のカップルとその血を分けた子供という家族についての従来の概念は、世界的に見てもどんどん解体されているということです。
--そういう時代だからこそ、家族とはそもそも何なのかについて根本的に考え直すべきだというわけですね。
斎藤日本の場合、47年民法の前に1898年民法年(1898年=明治31年に施行された民法)というのがあるんです。フランスの民法を土台にしつつも、じつは儒教的家族意識に裏打ちされたものなんです。あの民法が作られてから女たちが離婚しにくくなっちやった。江戸期の女の離婚率は人口1000人に対して4を越えていたと推定されているんです。下手をすると5を越えていたんじやないか。4を越える国といったら、いまでもアメリカぐらいでずよ。しかも、駆け込み寺やら縁切り寺といった、いまの家庭裁判所やシェルターに相当するようなものまであって、女性に有利な社会だった。ところが、1898年民法が成立した途端に離婚しにくくなり、離婚率が人口1000人に対して1を切っちやった。他の東アジアの国並になっちやったんです。その状況を持ち越したまま47年民法で、ヨーロッパ流の愛で結ばれたカップル、なんていうラプロマンス説で家族を規定しちやった。つまり、木に竹を接いだみたいなものです。だけど、日本の場合、成熟した2人の人間が愛をもって結ばれている……なんてカップルは非常に稀なんですよ。多くの人は夫や父親の真似、妻や母親の真似をやっているだけで、全然成熟していない。で、子供が生まれると、その子供は家族を崩壊させないための素材として奉仕させられる。早い話、子供の話以外に会話がなかったり、子供が生まれてからセックスレスになっちやった夫婦なんていくらでもいますから。子供は無意識のうちにそれがわかるから、夫婦のハピネスを維持するための機能を強いられるわけです。  斎藤氏は未来の家族像も提示しているのだが、それはこのシリーズの後に方に譲るとして、まず取り上げたいのは「子供は家族を崩壊させないための素材として奉仕させられる」という問題だ。じつは我々の多くはそのように育てられ、そこからさまざな間題が発生し、一部が一連の事件として顕在化しているにすぎないのだ。(以下次号)
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