COLLAGE◆SUPER NIL
 やさしい暴力
「お願い、自由にして!」親の重すぎる侵入に、子供たちは無言で叫ぶ

 身体的暴力(殴る・蹴る)や、言葉による暴力(罵り・蔑み)は子供たちの身体や心を直接攻撃し、その瞬間に傷を負わせる。しかし、精神科医・斎藤学氏が名づけたところの「やさしい暴力」は、はたから見れぱ虐得どころか憂情に満ちた行為にすら映るー。「ちゃんとレールを敷いてあげるから、言う通リにすれぱいいのよ」「○○ちゃんは、木当は、やればできる子なんだから」子供たちの心が、静かにジワジワと痛めつけられている真実は、実際に事件か起こってからでないと明るみに出ることはないのだ。
 前回、児童虐待は一般に思われている以上に、また統計数字として明らかになっている以上に、はるかに多いことを指摘した。だが、親から子への暴力は、精神医学や法律で定義されている狭い意味での児童虐待に止まらず、じつはより頻繁に見ることができる。その代表的なものが斎藤氏が独自に指摘する「やさしい暴力」だ。これは、関心を呼んでいる少年事件に見て取れるばかリか、この競争社会に生きている我々も少なからずさらされ、自分の子供に行使する可能性がある「暴力」なのである。
親の愛情が自己満足的 "侵入"に変わった悲劇
--「やさしい暴力」は先生の造語ですけれど、端的に言ってどういうことなんでしょうか。
斎藤ひとつは、親が子供の心に「侵入する」ということですよ。たとえぼ、岡山の17歳の少年が金属パットで野球部の後輩4人に重軽傷を負わせ、母親を殺したでしょう。報道されたところによれば、あの母親は「侵入する母親」の典型みたいな人だったように思います。ふつう男の子が小学校高学年ぐらいになったら「うるせえ」と母親に言う関係が健康なんですけれど、あの母親は、お前は人づきあいがヘタだからと、少年を野球部に入れさせたというでしょう。
--つまり人格改造。気弱な子供を強くしようと躍起になっていた。神戸の少年Aの母親と同じですね。
斎藤そうそう。岡山の少年は高校時代の打率が1割台で、ずっと補欠でベンチだというのに、母親は毎試合見にきた。中学のときに登録を抹消されそうになったら、怒鳴り込んだという話もある。少年にしたら、友だちの手前、みっともなくてしようがない。あの母親は男の子同士の関係をちっとも理解していない。
--実際、少年は「母親が自分の生活に干渉するのがイヤだった」と供述していますね。母親は、早朝練習に出かける少年の世話を熱心に焼き、少年の服も全部買いそろえていたそうですね。
斎藤「犯罪者の親になる母親が心配で、それを見る自分も辛い」と供述しているけれど、あれは額面通り受け取れない。要は「侵入する母親」への反応だったと考えるほうがわかりやすい。母親毅しが先で、ついでに後輩も殺そうとしたんだと思いますよ。おそらくあの母親は夫との関係に不溝があって、子供に関心が向きすぎたんでしょう。少年を自分の肉体の一部とでも思っていたんじゃないですか。だから、彼が彼として生きるためには母親を抹消しなけれぼならなかった。ふつうの子は抽象的に抹消するんだけど……まあ、抹消し切れていない人が多いけれどね(笑)……彼は物理的にやっちやった。神戸の少年Aの母親もそうですが、子供を愛しすぎるほど愛して、自分好みの人間に作り替えようとしすぎた。それで起こった悲劇ですよ。
--「やさしい暴力」は多くの場合、母親が行使するんでしょうか。
斎藤多くの場合はそうですね。しかし、父親の場合もあリますよ。1996年の秋に父親が暴れる中学生の息子を金属バツトで殴り殺す事件があったけれど、あの父親は息子が幼稚園の時も小学校の時も中学校の時も、なぜ学校が必要なのかとこんこんと理をもって説いた。集団を怖がる子供の気質を矯正しようとして、理詰めで追い込み、人格改造を強行しようとした。これは「やさしい暴力」です。しかもあの父親は子供の欲求不満に応えるためなのか、子供と一緒にエレキギターを習い、一緒にコンサートに行ったりした。子供が自分の世界を作ろうとしている時期なのに、ますます子供の心に侵入したんです。子供はそのことに反発して暴れていたんだと思います。
夫への不満の反動!母親たちは我が子のオトナ化を拒む
--子供が何歳ぐらいになったら、親は子供の心に侵入すべきではないんでしょうか。
斎藤事件を起こしているのは14歳ですけれど、11〜12歳からですね。男の子で言えば、夢精が起こつて、勃起、射精が起こる年齢です。要は精液の臭いをばらまいているわけだから、そういう存在と、それまでの"坊や"とを一緒にしてしまうような鈍感な母線だと、子供の心に侵入し、いつか子供にやられちゃうんですよ。ふつう男の子がそのくらいの年齢になると、やだね、この子は、もうその気が出ているよ…なんて言って、母親は子供と距離を取ろうとするんですよ。子供の部屋に入るのを憚るようになるし、子供が猛反発するから怖くて入らない。なのに入っちゃう母親がいるし、同時にそれを許しちゃう少年がいる。子供が成長する過程では親に隠し事を持つことは重要なんですよ。なのに、勝手に部屋に入ってきて、ポルノでも何でも見つけちゃう。親に悪気がなくても、子供は自分の秘密を暴かれ、監視されているような気分になるわけですよ。
--岡山の事件の例で、母親が子供の心に侵入した原因として夫に対する不満をあげましたが。
斎藤父親と母親がお互いに男と女の関係で忙しい場合は、子供の心に侵入している暇はあリませんよ。あっちがやるならこっちもと、双方が家の外でエティックに振る舞うという場合でも同じですけれど(笑)。ところが、そういうものがないと、えてして母親は世代境界を越えて子供とむす結びつく。家族の中がそういう構造になっていると危ない。侵入に対して子供が反発し、それがいつか暴力として爆発しやすいんです。
親殺しは流行する!?危険だらけの社会、精神科医の認識不足
--先生は、子供に対する親の過剰な期待のことも「やさしい暴力」と言っていますが。
斎藤ジューイッシュ・マザーという言葉がありますよね。ユダヤ人は、とにかく子供に学歴をつけさせ、家全体をステップアップさせて生き残ろうとする。そのために母親が子供の教育に非常に熱心になる。これはジャパニーズ・マザーと言い換えてもいいし、一般に北東アジアの儒教文化圏はそうです。そうすると、子供は単に生きているだけではなく家全体の運命を背負わされるので、とても苦しいわけですよ。これも「やさしい暴力」です。
--これこそ今の日本では一般的ですよね。
斎藤学歴偏重を壊そうという動きが出てきたのは、期待を託される子供があまりに苦しいからですよ。でも、その一方で日本は階層社会になリつつある。とすれぱ、子供への期待に拍車がかかリ、この間題はさらに激しくなるでしょう。親殺しは流行ると思いますよ。
--一般的な精神科医には、この「やさしい暴カ」に対する認識はないのでしょうか。
斎藤ないですね。心理学畑の人たちには「干渉的な母」の弊害を指摘する人はいますよ。ただ、それを児童虐待の一種と位置づけてはいないんじゃないですか。どうも日本では、母親は本来的に子供のことに熱心すぎるほど熱心なものだと思われているでしょう。そういう母親があまりに一般的なものだから、おかしいと思われないけれど、その認識を変えないとダメですよ。日本の母親は戸籍制度に縛られて、夫に絶望しても離婚しにくい。そうなった時、子供にしか関心が向けられない。「やさしい暴力」はそういう状況から生まれるんです。夫に絶望したら子供を恋愛対象にしちゃう。母線と子供の情緒的近親姦ですよ。これがよかろうはずがないでしょう。-以下次号-
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