COLLAGE◆SUPER NIL
東電OL殺人事件【後編】
あえて危険に身を晒し誰かに殺されることが白己懲罰の到達点

  前号のおさらいをしておこう。東電OL殺人事件の被害者、渡邊泰子さんは、東大から東京電力に進んで重役侯補となった父親と、名門一家出身で"お嬢さん"ゆえに社会的能力が欠けていたと想像される母親との間に長女として生まれた。彼女は過剰なほど父親に憧憬し、9歳の時に父親が急死すると"自分も父親のようになろう"という思いに拍車がかかった。その思いは入院に至る拒食症として現れた。拒食症には「成熟拒否」や「母親批判」といった意味がある。食事をして女の体になることを拒否し、女の代表である母親に批判的になるということだ。一般的に、長らく拒食症が続いていると、いつか過食症に反転し、それと同時に抑制されていた性欲が解放されることがある。彼女は20代の終わりに出世を断念せざるを得ない挫折があリ、再び入院に至るほど拒食症がひどくなった。彼女が過食症に反転していたかどうかは不明だが、パランスを大きく崩し、そのことで性的に逸脱した可能性も考えられる。とリわけ自分の出世を妨げた女性性に嫌悪感が強かった彼女の場合、自分の肉体に懲罰を下そうという意識があった。それが売春という行為に現れたのではないだろうか…。以上が斎藤氏の解釈だ。
彼女にとって売春は自己懲罰であり、母親イジメだった
--自己懲罰としての売春、というのが前号の結論ですが。
斎藤拒食症の人が自己懲罰的になるのはどこかに罪悪感があるからですよ。その罪悪感の由来は近親姦的なものだと思います。乳児期に母親との官能的な共鳴、同盟関係が生まれ、母親への愛着はどこかで一生続くわけですから、父親に愛着を持ち、母親を排除することはそうしたものを裏切ることになる。そのことで、意識するしないは別にして漠然とした罪悪感にとらわれ、自已懲罰的になるんです。一番わかりやすいのは手首切りです。わざわざ万引きをして捕まってみせる子もいる。万引きそのものではなく、捕まって処罰されることに意味があるので、捕まるまで万引きを繰り返すんです。普通の子は万引き止まりですけれど、なかには客のオジサンに万引きを見つかり、それをネタにホテルに連れ込まれたり……私のところにくる患者さんのなかにはそういう人もいますから。彼女の売春のことを聞いた時、本質的にはそれと同じだと思いましたよ。一般的に、家父長的というか、父親と母親の格差が大きい家に育つと「女なんてイヤだ。私にはいつかオチンチンが生えてくるに違いない」と思い込む女のコがいるんです。さすがに小学校高学年頃にはそれはムリだとわかり、目分は"劣位の性"に属しているんだという思いにとらわれる。そういう子が20歳ぐらいになって恋愛が破綻すると、いきなリ売春に走っちゃうことがある。そうすると、男に満足してもらうにはどうしたらいいんだろうかと考え込んで、渋谷の電話ボックスに貼ってある(風俗の)チラシかなんかを見て、白分から電話しちゃうんですよ、雇ってくださいって。そういう子は自分の性に誇りを持たず、男の満足を最優先するから、自分の体を餌みたいに使っちゃう。で、こんなイヤなことをするんだから、どうせなら料金を取ろうと思った……そんな話をする子もいます。
--佐野眞一さんの『東電OL殺人事件』を読むと、彼女の売春を母親や、母親そっくりと言われる妹、そして会社の人は知っていたことがわかります。いつの時点かで彼女自ら売春のことを話したはずですが、これはどういう意味があるんでしょうか。
斎藤 母親と妹という対に対する嫉妬や憎悪があったに違いないと思いますよ。つまリ母親イジメです。主婦というのは売春婦とも言むえるわけでしょう、一皮剥けば。そのことをあれほどわかりやすく伝えた人はいない。お母さん、あなたがやっていることはこれよ、わかっているのって。
汚れることでは満たせなかった心はついに、死を目指す
--慶応の経済出身で、東電の総合職でありながら売春、しかも管理売春ではなく渋谷円山町にひとり立って売春していたというギャップとともに、奇行とも言うべき数々の行為にも驚きます。たとえば、ぼろアパートの空き室ばかりか駐車場でのセックスも厭わなかったし、道端で立ち小便をし、ホテルの部屋で大便や小便をしてしまう、道端のビール瓶を拾って酒屋で換金し、たまった小銭を100円に逆両替する、売春の記録を克明に記し、1週間分のコンドームをバッグに持ち歩く…これはどういう意味があるんでしょうか。
斎藤摂食障害はコンパルジョン(強迫行為)とも言えるんですが、その基木にあるのは、肛門期(通常1歳から3歳)の心性に代表される肛門期人格という性格傾向です。肛門期には肛門括約筋を中心とした筋肉や神経系が発達し、ウンチを体内に貯め込むことと排泄することのコントロールができるようになる。で、排泄や排泄物に関心が向き、汚濁に敏感になり、自分のものと母親のものを非常に強く分けるようになる。ウンチというのは人生最初の財貨であるわけでしてね(笑)、肛門期人格の人にはこれを巡るこだわりがつきまとうんです。その性格傾向はケチで几帳面といったことです。不安を抱えて勉強ぱかりしているから、学校の成績はいい。で、潔癖症。彼女も30歳すぎで売春を始めるまではセックスの経験はなかったはずです。私の患者さんでも、拒食症のままで30歳、40歳になった人は全員東大とか東京外大を出た高学歴で、処女ですよ。しかし、そういう人は一方で、反対の極であるだらしなさ、汚濁、乱費、浪費といったことにあこがれや願望を持っている。自分は約束の時間に遅れられずいつも1時間前に着き、30分も40分も平気で遅れてくる人を、憎みながらもうらやましがっている、みたいなところがある。彼女もそういう性格の人だったと思いますよ。
--とすると、小銭の逆両替や克明な記録などはケチで几帳面という肛門期人格の現れそのものですし、セックスや排泄を巡る奇行は汚濁願望の現れと見ることができるわけですね。
斎藤そうですね。しかし、最後の数年聞は違うんじゃないですか。あそこまで凄まじくなっていったのは、汚濁願望ではなく自殺願望からですよ、明らかに。
--確かに、彼女の行為を知れば知るほど、自ら死に向かっていったというイメージがあります。
斎藤出世の道が閉ざされた時点で会社員としての死があり、会社の中で生きる目的を失ったわけでしょう。だから、エコノミストとしての論文も書かなくなったし、自分の売春行為も隠さなかった。死の少し前ですか、地回りのヤクザに「素人がこんなところで商売をしちゃ危ないよ」と注意されているのに、続けたでしょう。トラブルに巻き込まれたくないなら、当然管理売春に身を委ねるなり、ヤクザに守ってもらえばいい。しかし聞き入れなかった。円山町に立ち始めた時から人間としての死も考えていたと思います。
--自殺というのは自己懲罰の最たるものですよね。
斎藤その通りです。それまで売春には母親イジメや会社に対する意趣返しといった意味があったわけですが、もうそれもイヤになっちゃったんじゃないですか。あえて危険なことを選ぴ、やっていることかすでに死の淵に立つようなことでしょう。だから、あらためて自殺することもない。誰かが殺してくれれば死にたいなと思っていたんじゃないてすか。
【参考文献】
●「東電0L殺人真件」(佐野眞一/新潮社)●「家族依存症」(斎藤学/新潮社)●「家族の中の心の病一「よい子」たちの過食と拒食』(斎藤学)●「インナーマザーは支配する一侵入するお母さんは危ない」(斎藤学/新講社)
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