COLLAGE◆SUPER NIL
 「ひきこもり」の果て、ゆがめられたコミュニケーションのカタチ
 5月23日、新潟の少女監禁事件の初公判が行われた。検察側の冒頭陳述などから、 あらためて佐藤宣行被告(37歳)の生い立ちから事件に至るまでを振り返ってみよう。佐藤被告は父親が62歳、母親が36歳のときに生まれ、溺愛されて育った。だが小学 生の頃、同級生から父親が年寄りであることをからかわれ、次第に父親のことを嫌うようになった。中学生の頃から「汚れに対して極端な嫌悪感、恐怖感を抱き、頻繁に 手を洗ったり、他人が自分の物に触れるのを嫌う」強迫神経症と取れる症状が出てい る。この頃から家の中で暴れ始め、高校卒業の頃には父親に暴力を振るうことを危惧した母親が父親を佐藤被告の姉のもとに預けたため、母親との二人暮らしになった。 高校卒業後就職したが、3か月しか続かない。生活を支えたのは保険外交員をつとめ る母親であり、佐藤被告は馬券を買うときやドライブのとき以外は自宅にこもるよう になった。強迫神経症、家庭内暴力などを伴っていたことからすると、単なるパラサイト・シングルと化しただけでなく、精神医学の言葉で言う「社会的ひきこもり」状 態となったわけだ。そういう状況のもと、86年、26歳のときに小学生の女児に対する猥褻未遂で逮捕さ れ(執行猶予判決)、そして90年11月13日、当時9歳の少女を拉致し、今年1月28日まで9年2ヶ月もの間、自宅に監禁し続けた。
 父親との接触と対立で男児は精神的に成長する
--前回、男のパラサイト・シングルはさまざまな問題を起こしやすい、というお話でしたが。
斎藤本来、男の子というのは16、17歳ぐらいになるとお父さんとの対立が起こり、 少なくとも精神的にはTこんな家にいられるかUとなるものなんです。ところが、新潟の彼の場合は、お母さんがお父さんを捨てて、彼の側についちゃった。これによってものすごく高いプライドが生まれた。だって、そうでしょう。お母さん はお父さんを捨ててまで自分を生き甲斐にしている。それほど自分はお母さんの宝物なんだって思ったわけだから。家族の中に父性が不在だから、彼の自己愛は肥大する 一方ですよ。精神的には幼児そのものだから、社会に出て就職したって半年ももたな い。それに、彼がギャンブラーだというのはよくわかる。ギャンブラーは、自分がい い子なのかどうかを運とか神に判断してもらいたがっているところがある。で、ときどき当たりという形で、お前はそれでいいんだよという感覚を持ちたい、つまり自己 愛を肯定したもらいたいんです。当たると、自分が人生をコントロールしているみた いな感覚が持てて気持ちがいい。だけど、そういう人に限って自分の人生を自分でコントロールできていない。新潟の彼はそういう人だと思いますね。
--彼の場合、すでに中学生の頃から自室にこもりがちだったといいますから、20年の長きに渡り自己愛を肥大化し続けてきたわけですね。
斎藤もともと母親と子供の間では言葉がいらないんです。お腹空いた? うーん……とかって唸るだけですんじゃう。そこに父親という存在が介在することでかろうじて言語能力が保たれる。しかし、その父親が追い出されてしまったから、コミュニケーション能力がどんどん貧弱になっていく。彼の場合、近所との付き合いもなかったわけでしょう。地域というのは家族と並んで子供の人間関係能力を磨いていく場所だけど、それも欠けている。 一般的に言っても、今の子供は学校の中だけでコミュニケーションの練習をしようとするでしょう。でも、学校では同学年、同年齢との付き合いしかないから、多面的 な関係が築けない。障害児でもいれば、その子をみんなで支えようというように弱者を保護する精神が発達するのに、障害児はふつうの学校から排除されてしまっていることが多い。で、弱い者はいじめて支配して優越感を持つという、男のいちばん悪い面だけが出てしまう。この頃は女の子もそれを真似して、力による支配が行われてい るようですけれどね。
--少女を拉致して、監禁したというのが彼にとってはコミュニケーションだったわけですね。
斎藤自分が絶対的優位に立っていないと、恐くて仕方がない。彼は対等の立場の女性には近寄れないでしょう。もし彼が我慢して会社に勤め続けていたら、そこらじゅうにいる、それらしい人になっていたと思いますよ。同じ男同士では妙によそよそしかったり、傲岸不遜だったりする。でも、それはコミュニケーションするのが恐いだけなんですよ、本当は。で、ロリコン的買春でしか女性とのコミュニケーションができない。で、けっこう高学歴なのに、そこらのサラリーマンにはなりたくないとか生意気なことを言って、これは世を忍ぶ仮の姿だという意識でいつまでもフリーターを続けている。私のところにもそういう人がたくさんカウンセリングを受けにきますよ。
 T母子カプセルUを生む我が子への絶対的自信
--パラサイト・シングル、社会的ひきこもりを可能にしているのは、一方では今の日本の社会的豊かさであり、他方では母親の存在ですね。
斎藤エンプティネスト・シンドローム(空の巣症候群)という言葉があるんです。アメリカ人が作った言葉だから日本の母親だけじゃないんですけれど……子供が恋人を作って、結婚して、子供を産んでといった具合にカレンダー年齢に即した成長をして母親を見向きもしなくなり、一方、夫が呆けたり、死んでしまったりすると、エンプティネス(空虚感)に取りつかれる。 ところが、子供が新潟の彼のようだと、呆けてなんかいられない。彼のお母さんも彼のために寿司を買いに行ったり、73歳になるまで保険の外交員を続けていたり、彼を何とかしようと病院や保健所に相談に行ったりしていたわけでしょう。子供がいつ跳び蹴りをしてくるかわからないから、いつも身構えて宮本武蔵状態にいなくちゃならない(笑)。つまりバカ息子、バカ娘がいると母親は呆けられない。そういう効用があるというか、母さん孝行なんです、バカ息子、バカ娘は(笑)。本来、母親という存在は子供にとって支配的なもので、子供に対して絶対的な自信を持っている。子供が暴力的になって、一見子供に屈服しているように見えても、この子は私がいなければ生きていけない、私がいるからこそ生きているんだという自信がある。子供に対していつまでも授乳感覚を持ち続け、支配し続けようとする。だから、あそこまで頑張れちゃうんですよ。
--とすると、新潟の彼と母親との支配、被支配の関係は非常に倒錯的ですね。「オレの部屋に絶対に入るな」と厳命し、奴隷のようにこき使うという形で彼が母親を支配する一方、母親は「私がいないとこの子は生きていけない」という形で彼を支配していた。
斎藤バイオレンスというのはもともとそういうものでしょう。バタード・ウーマン(殴られる女性)とバトラー(殴る夫)の関係がそうですよ。リアルな世界では妻が夫を支配し、ファンタジックな、濃密な二者関係においては暴力を介して夫が妻を支配する。それと同じようなことが親子関係でもあるんです。そういう関係を二者間でやっている家族はいくらでもある。そこに少女という第三者を巻き込んだから、新潟の場 合、事件になっただけなんです。
               

 じつは斎藤氏は、3年前に神戸の14歳の少年が起こした小学生連続殺傷事件、そして今年17歳になる彼と同学年の少年が起こした愛知の主婦刺殺事件やバスジャック事 件は「あの世代に共有されている問題」と見ている。それに比べると、少女監禁事件の背景となっているパラサイト・シングル、社会的ひきこもりはより一般的な現象だ。実際、社会学者山田昌弘氏は、20歳から34歳までの「親同居未婚者」をパラサイト・シングルと見立てると、それは95年時点でも1,000万人いると計算している。『社会的ひきこもり 終わらない思春期』(斎藤環著、PHP新書)によると、社会的ひきこもり状態にいる青少年は「一説には数十万人」「年々その数が増える傾向にある」と言われている。また、事件として表面化しないものの、倒錯した支配、被支配の関係を内包している家族は多い。はたしてあなたや私は、自分の中にそうした要素をまったく抱えていない、と言い切れるだろうか(以下次号)。

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