COLLAGE◆SUPER NIL
挫折、焦り、父親不在…誰もが"酒鬼薔薇聖斗"になりうる可能性
あまリにショツキングだつた、14歳の少年Aによる神戸の連続児童殺傷事件、その一部始終を様々なメディアをとおして見つめた同世代の少年たちが、3年後の今、事件を引き起こしている…。「相次ぐ17歳の犯行は、神戸の事件の同世代への波及なのです」そう分析する斎藤学氏とともに,連載5回目の今回は、凄惨な少年犯罪の先鞭となった少年Aに迫ってみよう。犯行に及ぶ者と、そうならない者、その境界は何なのだうつか?そして、誰もが"酒鬼薔薇聖斗"になリうる現状を、あなたは直視できるだろうか?
 今年の春に起こった愛知の主婦殺害事件、バスジャック事件、JR根岸線内のハンマー殴打事件の犯人はいずれも17歳、3年前に起こった神戸の連続児童殺傷事件の犯人と同年代だ。斎藤氏は「これは神戸の事件の同世代への波及であり、白己顕示的な犯行であることも共通している」と見ている。だとすれば、ここであらためて神戸の事件とは何だつたのか、を振り返ってみる必要があるだろう。もちろん犯人の少年Aには固有の問題があり、斎藤氏は、多くの奇怪な言動も合わせて考えると、「少年が犯行時に精神分裂病に近い状態だった可能性も完全には否定できない」と述べる(精神鑑定書では否定)。だが、そうした特殊性が最大の問題なのではなく、やはりあの事件からは我々にも共通する問題が読み取れる、と言うのだ。それは何なのか?
家庭内で見つけられなかった父親を、見つけ出した先は…
--神戸の事件とは何だったのか。先生の総括を聞かせてください。
斎藤一言で言えば父探しですよ。少年は切り落とした首を中学校の正門に置いたり、児童の口に「さあ、ゲームの始まりです/愚鈍な警察諸君、/ボクを止めてみたまえ…」という「挑戦状」を差したり、神戸新聞に「犯行声明」を送りつけたりと、やることがうるさいよね。そうやって少年が愚弄し、挑発した学校、社会、警察とはすべて父親のメタファ(隠喩)です。碇を教え、それに背いたら懲罰を加えるというのが父性の役割のひとつだけど、彼の家族にはそれが欠けていた。だから彼は家の外にそれを探しに行き、国家権力という父と出会った。彼自身がそういう父との出会いを無意識のうちに望んでいたはずなんです。
--少年の父親は父性の役割を果たしていなかったわけですか。
斎藤家族の危機に際して力及ばずとも全力を尽くす、それが父というものでしょう。あの家族の危機とは、まさかと思った自分の子供が犯人だとわかったとき。だとすれば、すぐに記者会見で不明をわび、たとえ受け入れてもらえなくてもその足で被害者に謝罪しに行くのが父の役割なんですよ。なのにそれもせず女房と逃げちゃった(事件の年の夏、謝罪の手紙は出した。その後のことは不明)。
--後に少年の両親が出版した手記を読むと、母親に比べて父親の影が薄いことがわかりますね。
斎藤事件後、少年鑑別所に入れられた少年が「お母さんに会ってもいい」と言っているのに、父親は無視されているでしょう。少年は「犯行声明」を書くとき架空の犯人に「30代の独身男性、父は死に、病身の母親と同居する失業者」というイメージを付与したと言っている。ここでも父親は言及に値しないかのような存在になっている。いろいろな資料によると、父親はふだんは無口で、ときどき短気を起こして怒鳴ることが多く、両親ともに少年もまたそういう性格をしていると理解していた。「言いたいことは誰にでもはっきり言う」性格だという母親は、少年の内気で消極的な性格を嫌い、矯正しようと必死になっていたと思います。
--母親は少年に覇気を持たせようと、オモチャを他の子に取られたら取り返せと叱咤し、少林寺拳法を習わせたいと思っていたそうですね。
そのとき、少年Aの中に〃酒鬼薔薇聖斗"が誕生した
斎藤おそらく少年は、父親より喘息の弟よりも誰よりも、母親は自分に関心を持っていると信じる自己愛的な子だったんだと思いますよ。だって、母親は少年の人格を変えようと一生縣命だったんだから。しかし、母親の期待に応えて周囲に一目置かれる強い者になるのは、彼にとって大変な課題ですよ。本来その素質があまりないわけだから。そのとき「悪いことをする白分」に名づけた酒鬼薔薇聖斗として振る舞うことが都合が良かったんです。少年はある程度はそれに成功した。小学校5年のときの祖母の死をきっかけにして、死に関心を持ち始めてナメクジや蛙、さらには猫を殺して解剖したり、弱い者に暴力を振るった。何を考えているのかわからない不気味な子、というイメージを周囲に与えていたようだから。ただ、小さい頃に母親に折橦され過ぎたせいで、母親の前では委縮しちゃう。だから、母親の前ではおとなしくして、他のところで自分の攻撃性や怒りを表現していた。そうなると、ファンタジーを肥大化させ、心の中に魔物を飼うようになるのは当たり前ですよ。
--少年は猫、さらに児童を殺傷したとき勃起して射精しました。
斎藤あれが大きかった。猫殺しがマスターべーションになったわけです。マスターべーションというのは嗜癖(しへき)の最たるものです。よくなかったのは、小学校の教師から中学校の教師に「あの子は危ない」と申し送られたために教師に目をつけられ、長い間猫殺しを我慢していたことです。アル中でも、断酒するとあとでもっとひどく酒を飲んじゃう。嗜癖というのは一定の禁欲期間があると、あとでより強く出てくるんです。それと同じことが彼にも起こった。
--それが連続児童殺傷事件だったわけですね(中学2年の2月、3月に女の子3人に怪我をさせ、一人を殺し、中学3年の5月に男の子を殺した)。
斎藤もうひとつ、少年を殺人衝動に向かわせたのは生に対する絶望感でしょう。中学3年になる頃といえば、周りで進路のことが話題になり、受験準備も始まる。少年は「将来の希望なんか何もない」としきりに漏らしていたというから、虚無感、焦り、挫折感があったでしょう。で、少年としては周りが虫けらのように見え、自分は大きなことをやってやるかという欲求に駆られたわけです。
--サディズムの問題は別にして、母親との過剰な密着が出発点であることは確かですね。
斎藤彼は幼児性を多分に残した少年ですね。彼は直感像素質者といって,パッと目に入ったものを映像として記憶し、再現する能力の持ち主なんですが、その能力は幼児期に見られて、だんだん消えていくものなんです。幼いときに買ってもらった縫いぐるみを自分の部屋の四隅に置いて寝て、その部屋も日の光を嫌ってカーテンを閉め切っていたという話で、子宮の温もりを渇望していた子ですね。小学校3年のとき、父親に叱られてひっばたかれて、虚ろな目になって意味不明のことをうわごとのように喋り、ガタガタ震えたこともあった。おそらくヒステリー性の痙攣(けいれん)だと思うけれど、ふつうはもっと小さい子が起こすものですよ。そういうことがあったから、よけいにエディプス期(男の子供が無意識のうちに母親に愛着を持ち、自分と同性の父親に敵意を抱く時期)の卒業が遅れたんですね。簡単に言えば、なかなか男になれない。彼はそのままいけば、幼児性、自己愛の強い人間に育ったと思いますよ。自分だけが偉いと言わんばかりの傲岸不遜な男がよくいるでしょ、そこらへんに。いわゆるマザコン男。あれですよ。両親の手記に、医療少年院に母親が訪ねて強引にあるゲームを少年とさせてくれと頼み、少年がいやいやながらつきあうという記述がある。しかし、それ以降、少年は二度と母親と会わなくなった。少年にしてみれば、もうオレの心に侵入しないでくれ、ということでしょう。母親はそうやって彼がエディプス期を卒業するのを邪魔してきた。彼は殺人によって父と出会い、それを卒業したんです。ふつうの男の子なら7歳ぐらいで到達するところに、彼もようやくたど辿り着いたわけです。一以下次号一
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