COLLAGE◆SUPER NIL
ドメスティク・パイオレンス
恋人・夫婦間の暴カは,、嗜癖のレベルに達した"共依存"のメビウス

 世間の目がおよぱない、ごくブライペートなところで、親密な関係にある男女間の暴力が存在している。暴力を振るわれては謝る男性、振るわれてなお許してしまう女性……。その"共依存"のメビウスが成立するのは、根底に強固な愛情があるからなのだろうか?それとも、おのおのが抱える抑えがたい欲求を埋め合えるからなのだろうか?その間い自体に、恐怖を覚えるのだ。
 読者の君は恋人や奥さんを殴つたことがあるだろうか? 恋人や夫など親密な関係にある男性から何度も身体的暴力を振るわれたことのある女性は6.9%、1〜2度あった女性は26.1%、合計すれば3人に1人が暴力を振るわれた経験がある-- 昨年の春こんな調査結果が東京都から発表された(「女性に対する暴力」調査報告書)。日本のドメスティック・バイオレンス(D・V)に関する調査として注目されたデータだ。
家庭内暴カと言うと、日本では少年事件が象徴するように子供から親への暴力を指すことが多い。子供が親を殴るなんて、と儒教的価値観が驚いているからだ。だが、斎藤氏によれば、実態としては大人から子供への虐待、中年や若者から老人への暴力に次いで、男から女への暴力が多いという。そうした暴カが犯罪、事件と見なされてこなかったために、表立って語られなかったにすぎない。
日常における恐怖!D・Vが発生、増幅し、くり返される背景
--数字には驚きましたが、なぜ男は、そんなに女を殴るのでしょうか。
斎藤暴力というのは自分のプライドを傷つけられたところから発生するものでね。バタード・ウーマン(殴られる女性)というと、生活能カも低く、男にすがって生きる弱々しい女を想像しがちだけど、実際は男よリ高学歴で年上で颯爽(さっそう)とした人のほうが多いんですよ。最初はそれが不思議だったけど、考えてみれぱ当然のこと。そういう組み合わせだと最初から男のほうに劣等感があるから。で、男が筋肉パワーや性的能力を誇示するような精神的に未熟な人間だと大変ですよ。「男らしくない」とか言おうものなら、プライドを傷つけられて暴カに向かいますから。
--いい歳をして暴力を振るうのは精神的に未熟だということですね。
斎藤私はよく言うんですよ、男と女は子供返り競争をしているって。2人の酒飲みが一緒に酒を飲んだとき、先に酔っぱらったほうが勝ちみたいな。酔えなかったほうは酔いつぶれたほうの世話はするわ、飲み代は払うわ、担いで帰るわ、さんざんな目にあう。つまり親の役をしなくちゃいけない。それと同じことを男女関係でやっていて、日本ではたいてい女が負けて親をやり、男が勝って赤ちゃんをやれる。それが暴力を振るう基盤になるわけですよ。だって、赤ちゃんは不満があるとすぐに暴れるじゃない。あれと同じですよ。
--赤ん坊は欲求不満になると母親の乳房を噛みますね。
斎藤それを大人になつてやるから、相手にひどい怪我をさせるんですよ。どこかで相手のことを女じゃなく母親だと思っているから、白分が求めるものを与えてくれないじゃないか、傷ついたといって暴れるわけです。成熟した大人だったらこんなことはやれないでしょう。これは私が相談を受けたケースだけど、バタラ(殴る男性)はいろんなことをするからね。妻の免詐証を失効させて車を運転させない。要するに行動制限ですよ。ちょっと自分より帰りが遅いと「他に男がいるんじゃないか」と嫉妬して、妻の服をジョキジョキ切って燃やしちゃう。妻が愛用していたピアノを壊して、細かな木の破片にしちゃう。飼っていた犬をプレス機で潰しちゃった男もいるし(笑)。
--バタラーは暴力の後、必ず相手に謝ると言いますが、その心理は?
斎藤暴力でエネルギーを放出した後は、今度は逆に掌中の珠を失いたくないという思いに駆られ、必死に許しを請う。自分のプライドが傷ついてもいいから、とにかく謝ろう……そのときはそういう気になるんですよ。相手の女性が男のそういう愛を受け入れると、危険な関係はさらに暁きます。男は次なる暴力に向けてエネルギーをため込みますから。「もう二度と暴力は振るいません」と誓約書まで書き、反省の印として頭まで剃ったのに、その1週間後にはまた妻をボコボコにした男もいますから。これはもうアディクション(嗜癖)としか言いようがない。いちど殴られた女性が、そこで大騒ぎするとか倍返しするとかせず、恐怖に凍りついちゃうともうダメです。それまで女性が肝っ玉母さんみたいに男の尻を叩いていた関係でも、それからは暴力を振るう者とそれを恐れてなだめる者の関係になっちゃう。バタード・ウーマンに聞くと、けっこう上手に男をなだめてコントロールしていたって言うんですよ。しかし、そのうち致命傷に近い暴力がボンと起こる。包丁が自分のすぐ脇を飛んできてドアに刺さったり、耳を切られたりして、やっと裸足で逃げ出すんです。

自覚レベルを超え、共依存関係は根深く存在し続ける  ここで「共依存」ということについて理解しておこう。
 斎藤氏によれば、共依存とは、相手に頼ることで相手をコントロールしようとする人と、相手に頼られていないと不安になる人との間に成立する依存、被依存の関係のこと。たとえばそれは、アル中の夫とその世話をする妻の関係などに典型的に見られる。アル中の夫が酔いつぶれたり、暴れたりする。妻はそんな夫を軽蔑し憎みながらも、夫の世話をすることで自分の存在価値を確認し、世話ができないと寂しくて仕方がない。夫はそういう形で妻を支配し、同時に妻は妻で、夫に自分を頼らせることで夫が自分から雛れられないように支配する、というわけだ。何が問題かと言えぱ、ともにまつたく自立していないという点だ。

--バタラーとバタード・ウーマンの間にも共依存が見られることが多いと先生は言いますね・殴り、殴られ、なだめ、なだめられという関係の中でしか生きられない。
斎藤そうです。これは人間関係のアディクションですよ。だから、なかなか抜けられない。だって、ふつうに考えたら、そんなにボコボコやられているのに逃げ出さないのはおかしいでしょ。いったん逃げ出しても「あの人は私がいないと生きていけない」とか「残してきた子供が心配だ」とか言って戻っちゃうバタード・ウーマンだっているんだから。バタラーの夫が死んでようやくホッとしたのに、しぱらくしたらうつ病になっちゃった人もいるくらいです。それくらい共依存の2人は深いところで結ばれている。
--こうした共依存は過剰な母子関係にも見られるわけですね。
斎藤日本の男女関係には共依存が多いですよ。男は女を母親だと思い、女は男の世話を焼くことが美徳だと教育されているから。だいたい日本の男には、妻が夫を裏切ることへの恐怖が欠けているね。これを私はアガメムノンの恐怖と言っているんですよ。アガメムノン(ギリシャ神話に登場する英雄)というのは、トロイ戦争のときのギリシャ側の総大将でね、7年間戦争をして家に帰ってきたら妻には間男がいて、鎧を解いて風呂に入ったところで殺されちゃうんです。どこの国の男だってこの恐怖を持っているから、仕事が終わったら早く家に帰るんですよ。でも、日本の男は妻を母親だと思っているからその恐怖がない。で、いつでも妻は自分の世話をしてくれるものと思い込んでいる。もちろんアメリカでも中西部なんかは保守的ですよ。しかし、アメリカは多民族国家だから自ずと社会に緊張関係がある。ヨーロッパなら陸続きの周辺国との緊張関係がある。でも日本にはどっちもない。で、島国の中で安心しているから、共依存的な関係がズルズル続いちやうんです。
-以下次号-
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